長春との交流、あれから10年

August 18 [Mon], 2014, 18:09
 仙台JCが長春青年聨合会と、友好関係締結の調印を締結したのは2005年、会場は人民大会堂、そこはニュースで見るだけの場所で、自分がそこに行くことになるとは夢にも思わなかった。全人代の大会議場の中央で、当時の聨合会副主席の張氏と調印を交わし、その後には盛大にレセプションが開催された。そして日本料理屋で、トイレに行く時間も惜しんで、さしで話した2時間は、今でも忘れられない。さし、といっても通訳をはさんでだけど。(長春市外事弁公室の尹さん、お世話になりました。)長春と仙台の交流がなぜ重要か、当時はことあるごとにメンバーに話していたが、誰も覚えていないだろうから、簡単に書いておきたいと思う。

 長春市は、中国東北地方の中核都市で、人口300万、周辺地域を含めると700万の大都市だ。農業と自動車産業が盛んで、国際映画際など文化的イベントも開催される。吉林大学や東北師範大学などの教育機関や研究機関が数多く設置される、近代的文化都市と言える。

 また、旧満州国の首都、新京が置かれた町であるため、中国では数少ない“民間人の日本人”を知る地域でもある。戦後帰国が叶わなかった多くの日本人孤児を、我が子として育てた養父母が大勢いたが、長春市平陽街にある中日友好楼には、2006年当時、まだ健在で暮らしている養父母が数名いたと聞いている。若い世代でも、祖父母から、優しい日本人の話を聞かされていた、という観光ガイドがいた。そのこともあり、彼女は日本語を勉強し、観光ガイドになったという。

 現在の中国に、日本に批判的な民衆は、実際多いかもしれない。しかし、日本のマスコミによる報道から受ける印象と、現地の中国人と交流して受けた印象では、180度と言っていいほど違う。彼らはとても友好的で、私たちが示した友好的は発言や態度を、何年も覚えている。一度会ったら友人、二度会ったら親友、と言うらしいが、本当にそんな印象を持つ。2010年に訪中した時は、その5年前とは大きく変わり、聨合会メンバーで個人的に訪日経験のある女性メンバーがいた。彼女は、日本での店員の接客方に、とても感心していた。訪日の前後では、日本の印象が大きく変わったと言っていた。

 交流を継続すれば、その成果は確実に大きくなる。中国がどういう国家体制にあったとしても、どんな国民性だとしても、全くかかわりを持たずにいることはできない。中国も少子高齢化が急速に進み、これまでのような経済発展は難しいだろう。経済的なメリットを考えれば、むしろASEAN諸国との絆を堅固にした方がいいのかもしれない。しかし、地理的に近い、中国・韓国は、文字通り隣国であり、一方に問題が生じれば、多少とも影響を受ける関係になる。また、たとえ国家同士が対立する局面があっても、個人的な交流が大きく発展していれば、最悪のシナリオは避けられることもあるかもしれない。長春が日本にとって特別な都市であるとすれば、仙台JCが長春青年聨合会と交流を継続することは、日本の国益に少なからず寄与すると思う。

草の根民間外交

October 08 [Mon], 2012, 11:03
先週の土日は久しぶりにJCの現役メンバーと話す機会があり
若いエネルギーをもらった気がする。

そして一つ改めて考えさせられる事があった。
日本と中国の関係だ。

05年から仙台JCと長春青年聯合会との交流が始まり
06、07、10、11と相互に訪問し交流をしてきた。
二国間の関係を国家レベルだけではなく、民間、地方そして個人レベルでも
良い関係を継続することで相互の信頼関係に繋がるのだと思う。

また、長春は満州の首都が置かれたところだから
日本の民間人が多く入植した地域でもあり
優しい日本人との思い出をおばあちゃんから聞いている、という中国人が多い。
そういう意味では特別な地域だ。

仙台と長春との交流は地道に継続することが大切で、
将来は国益にも繋がるかもしれない

とむかし偉そうに話していたのを思い出す。
来年は日本に委員長を輩出するということなので
仙台も頑張って欲しいなぁ。

乾杯の提案

June 05 [Sat], 2010, 9:48
2006年以来4年ぶりに長春を訪問し、青年聯合会のメンバーと情報交換する機会を持つことができた。主席や副主席となると、数年後は地方行政区の区長やそれに準じる役職に就く人たちだ。当然学識があり考え方も洗練されている。彼らは会食の中で、乾杯で私たちを歓迎してくれるのだが、その乾杯の前に必ず短いスピーチをする。順番は役職の高い人から、長春側と仙台側で交互に行う。最初は、形式的な硬い歓迎の挨拶から始まり、しだいに打ち解けてくる。スマートなジョークで笑わせる人もいれば、日本旅行の経験談を話す人もいる。(4年前は日本に来たことのあるメンバーはいなかった。)そこで、考える、何を話そうか。こういう状況で、あなたなら何を話すだろうか?

私は5年前に北京の人民大会堂で、当時長春青年連合会の副主席をされていた張さんと出会った。その夜は日付が変わるまで、話し続けた。私は両国間の歴史について何度も尋ねた。彼らが日本人に対して何をどう考えているかを知らずには、信頼できる関係を築くことはできないと思ったからだ。しかし、張さんは日本人に対して抱く感情や両国間の歴史については、一切話さなかった。そこで思ったのは、彼にとっては、「話さない」ことが、私に対する敬意のあらわし方なのかもしれないと。それならば、自分で学ぶしかない。中国人は、「日本」についてどう教育され、どう思っているのか。中国の人たちが行くところに足を運び、同じものを見、何を感じるか。今回このツアーに参加したメンバーは、何かを感じ取ったと思う。日本が今後、中国や韓国その他の近隣諸国とどう関係を築いていくべきかを、じっくり考えて欲しい。


でかいS副理事長の背中が小さく見える

乾杯前のスピーチの話にもどるが、相手が自分たちに対してどう思っているのかを知らずに話をすることはとても怖い。どうしても表面的なことしか話題にできないものだ。しかし、時には中国側のメンバーがほんの少し歴史にふれることがある。そうしたら、日本人としてそれに答える準備ができないといけないと思う。もうほんの少し踏み込みながら、中国人の心のわだかまりを包み込む言葉を投げかけることができれば、そういう青年が増えれば、日中両国の未来は明るいと思うのだが・・・

張学良記念館

May 31 [Mon], 2010, 8:34
西安事件で国民党の蒋介石を拘束し、共産党との
一致抗日統一戦線結成を認めさせた張学良の
記念館を見学した。東北地方を独立国家のように
治めていた父、張作霖が築いた家は、小さな故宮
のようだ。隣には、張作霖がつくった立派な銀行もある。
瀋陽には国内に2つしかない造幣局の1つがあり、
それは当時のものらしい。


張学良像の前で記念写真


学良の父張作霖の執務室


小さな故宮のような中庭


若いころの学良


軍閥間の戦いが絶えない時代に、学良は生まれた。


西安事件の蒋介石と張学良


西洋式の立派な建物もある


外観が西洋式建物の中。天井には鶴がデザインされた東洋式の模様。


学良の執務室


寝室の家具


作霖が息をひきとった、夫人の家




作霖が建てた銀行にお邪魔しました。


90年前にタイムスリップ


溶け込むメンバー


超リアルだった。人形の隣のベンチに座ろうとしたら、警備員の注意された。


観光客で賑わっていた。

世界遺産の瀋陽故宮にて

May 30 [Sun], 2010, 7:43



この人だれ?




皇帝の格好をしたN君。悪そう。


そこに現れた御后さま。


N皇帝は権力争いに負け、お后をH皇帝に奪われた。


三役&事務局




シャッターを切るI先輩




Y次長、お世話様でした。

瀋陽の柳条湖にて

May 30 [Sun], 2010, 7:27
4年前は長春だけだったが、今回は瀋陽まで足を伸ばした。
瀋陽では9・18事変(満州事変)博物館を見学した。
「柳条湖」という湖があるのだと思っていたが、単なる地名で、どこにも湖はなかった。



この博物館を見学してまず感じたことは、やはり戦争はいけないということだ。
人間のもつ罪の性質が、想像の範疇をはるかに超えた恐ろしい事件を起こしてしまうのだ。
人間の性質が変わらないかぎり歴史は繰り返される可能性がある。
日中両国の未来のためというだけでなく、
人類全体のために私たちは歴史から学ばなければいけない。



写真の銅像は、残留孤児と中国人の養父母だ。
中国に残された日本人の子どもを、我が子のように育ててくれた中国人がいたこと。
その我が子同然の子どもが日本に帰国する時、
断腸の思いで見送った養父母たちがいたことも、私たちは忘れてはいけないと思う。

長春青年聯合会との交流会

May 29 [Sat], 2010, 23:31
趙常務副主席をはじめ長春青年聯合会のメンバーと交流を深めることがでた。

今回は、訪長した仙台のメンバーと同業のメンバーを揃えていただき、
参加者は互いに有意義な情報交換をすることができたと思う。
私も、1000名の子どもが通う英語学校の校長と話ができた。
3年前に中国に進出したアメリカのフランチャイズの学校らしい。
大いに刺激を受けた。



ただ今長春

May 28 [Fri], 2010, 7:53
昨日から長春に来ている。

今日は、午前中に仙台JCと長春青年聯合会の懇談会があり、
午後からは偽皇宮博物館を見学する。

明日は新幹線で瀋陽に行き、9・18事変博物館や張学良博物館を見学する予定だ。
日本人は近代歴史についてあまり詳しく知らない人が多い。
学校でも特別時間を掛けて学ぶことはしないし、積極的に学びたいと思える
内容ではないから仕方ないかもしれない。

しかし、本来であれは日本人が中国や韓国の人たち以上に
真剣に学ばなければいけないと思う。

昨晩の夕食時に、
「長春には朝鮮文化が多く見られますね。」と言ったメンバーがいた。
地理的に近いから自然とも言えるが、朝鮮人が多くこの地に入植したのは
歴史上日本が大きくかかわっているわけで、日本人としてそれを知らずに
話をするのは、少し失礼な感じがした。

あらためて、近代歴史を学ぶ必要性を感じた。

中国長春市と交流

May 07 [Mon], 2007, 8:24
一昨年から仙台JCと中国の長春青年聯合会との交流が盛んに行なわれている。当時土屋委員長と2人で顔を見合わせながら半信半疑ではじめたことが、今年も継続されることはとても嬉しいことである。

これまで、長春市と仙台市、吉林省と宮城県は行政主体の交流は盛んに継続して行なわれてきた。しかし民間では、宮城と仙台の日中友好協会が植林事業などを行なってはいるものの、それ以外にはほとんどなかったようだ。

2年前の6月、仙台JCから当時の国際力開発委員会の土屋幸男委員長を長春に派遣して同市の経済発展の様子を視察し、数日後北京で長春青年聯合会と継続的に交流を推進する文書に調印した。同年秋には長春から8名の訪問団を招聘し、公開例会で長春市急速に発展している様子を発表していただいた。
昨年は仙台JCメンバーが14名長春を訪問し、青年連合会のメンバーと親交深めた。そして今年6月、長春から十数名のメンバーが来仙する予定だ。

長春市は日本にとって特別な都市。多くの中国人は日中戦争当時の日本軍のイメージを強く抱いているかもしれないが、長春市民は開拓民として満州に渡った優しい日本人を知っている。
仙台市も中国にとって特別な都市である。中国人が尊敬する革命家魯迅が医学を学んだ地。魯迅の恩師、藤野先生の話を知っている中国人は大勢いる。
長春市と仙台市が交流をすることは象徴的であり、今後の両国の信頼関係構築に重要な役割を担う可能性がある・・・ような気がする。

この写真は先月長春市政府の薄副主任と段処長が来仙した際、
仙台市日中友好協会が主催した歓迎会にお邪魔したときのもの

長春市政府のホームページに

August 25 [Fri], 2006, 11:17
先週我々が中国の長春市を訪問した記事が、
長春市政府のホームページに掲載された。

3日目朝に李副書記と会見したことが書かれている。
場所は中日友好会館の『仙台廊』という館内随一の立派なお部屋。

この会館建設の際は、仙台市や仙台市の企業個人から多大な寄付が寄せられ、敷地内の立派な記念碑には藤井前市長ら当時かかわった方々の名前が刻んであった。その中に「仙台阿部建設」とあるではありませんか。今回のミッションには参加できませんでしたが、田中担当副理事長はこんなところで貢献していたんですね。
スバラシイ!
理事長が持っているのは2007年に長春で開催される冬季アジア大会のマスコット。

全員で記念撮影をした後ろの壁一面にかかっている漢文の最後には、「毛沢東」と書いてあった。

誰かこの漢文を読めるひと・・・いないかなぁ?

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