心の貧しい者は幸いです

June 18 [Wed], 2014, 0:00
 クリスチャンの信仰生活は、短距離走ではなく、長距離走だから、無理をしても続かない。第一、表面だけつくろっても、神はすべてお見通しだから、なんの意味もない。20年以上通っていた教会を離れ、教会難民の状態になり、そのことをしみじみ実感した。これまで、自分が信者である証は、地域教会のメンバーということだけだった。毎週日曜日は教会に集い、兄弟姉妹と交わりをし、賛美し、聖書を読む。礼拝に参加しメッセージを聞くことで、神の言葉を聞いていると思うことができた。その教会を離れ、自分に関心を持って見守ってくれる兄姉を失ったとき、神との関係だけが残った。「心の貧しい者は幸いです。」とあるが、地域教会に繋がっていたころは、心は貧しくなかった。だから、神を求める思いも弱かったのだと思う。

 約2千年前のイスラエルの指導者たちは、言い伝えの律法を守ることで、モーセの律法を守っていると信じていた。心は貧しくはなく、神を求める霊的状態ではなかったため、最終的にイエスを拒否した。一方、イエスを信じたのは、罪人や取税人であり、十二年の間長血をわずらった女であり、会堂管理者のヤイロであり、ローマの百人隊長だ。彼らはパリサイ人や律法学者のように、聖書に詳しくなかったが、心貧しく神を求めていた。ルカ15章の二人の息子のうち、救われているのは、財産をすべて使い果たし父親に助けを求めた弟息子の方であり、父親と共に暮らし仕えてきた兄息子は失われたままだ。

 「クリスチャンになっても苦難に会うのはどうして?」と聞かれることがある。神は苦難を通して祝福してくださる。「かつてわたしが、引き抜き、引き倒し、こわし、滅ぼし、わざわいを与えようと、彼らを見張っていたように、今度は、彼らを建て直し、また植えるために見守ろう。―主の御告げ―(エレミヤ31:28)」引き抜いたあとに、また植えると、神は約束してくださる。神は全能だけれど、できないことが二つある。それは、罪を犯すことと、約束を破ること。神は苦難のあとに、それ以上に祝福を備えていてくださる。その中で最も大きな祝福は、「神を求める思いを心に深く植え付けてくださる」ことだ。
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